まこ先のきまぐれラクダ日記

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20. 子ども時代を失った子どもたち

 今から13年ほど前、修士論文のテーマが「子どもの権利条約」の研究だった。「子どもの人権」ということがクローズアップされはじめた頃で、それに関する書物や論文もいろいろ読んだが、その中にタイトルにあげた書名の本も入っていた。
 マリー・ウイン著「子ども時代を失った子どもたち」1983.サイマル出版、である。きのうの日記を書きながら、思い出したのがこの本だった。
 「子どもの人権」論者は、子どもは保護されるべきものから権利の主体者へと変わるべきだと唱えてきた。そして、校則は是か非かという問題が議論されるようになった。社会の変化に合わせ、そうした主張は受け入れられるようになってきた。しかし、大人たちは子どもを保護することを忘れ、「立派な大人」への準備を急がせるようになり、「無邪気な子ども」は姿を消してしまったのである。フィリップ・アリエス「〈子供)の誕生」によって広く知られるようになったように、中世には「子供」という概念はなかった。ウインが指摘するように、現代は(といっても、20年も前だ)、「新しい中世」のようである。「今日、テレビに登場する子どもたちが、まるで大人まがいのメイクアップ、服装、表情、物腰をしているのを見ると、中世の絵画やデッサイに描かれている子どもが、子どもというよりむしろ小人の姿をした大人のように奇妙に歪められていたのももっともだとうなずける。」(前掲書p.274)
 子どもが、残虐な事件を引き起こすことに驚きが生まれる一方で、明らかに子どもと大人の境界線は不明確になっている、子どもが小さな大人のように扱われているのであれば、彼らの引き起こす事件が大人と同じ種類のものであっても、驚くに足りないのではないか。
 当時(私が院生生活をしていた頃)、いわゆる「子どもの人権」論に対して、子ども権利とは「大人に保護される権利」であると主張していたのが、東京大学の堀尾輝久教授であった。そのためには大人は、適切な配慮で子どもを監督する必要があるのだが、大人の力量自体が怪しくなってきている社会的な背景の中で、必ずしも大きな共感を得られていなかったようにも思う。
 ウインは次のようにも書いている。「子どもは大人と違って、特別な存在なのだから、大人は子どもを慎重に監督しているのだ、という大人の気持ちを子どもが感じ取ることこそ、子どもを保護する子育てには不可欠な要素である。」(前掲書p.276) きのう、ぼくが言葉足らずに書いたことは、多分、これと同じことである。
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by mac04 | 2004-09-07 18:43 | 日常
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小学校教師のつぶやき。昔は情報教育についての話題も発信してました。


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